Sepia Records

観劇鑑賞感想レポメモ ネタバレ

推しの話。

推しが多過ぎる、とよく言われる。
カテゴリ一覧に登録しているお名前がいくつかあるけれども、誰が推しなんだ状態だし、トップページにも、誰のファンです、という風にはお名前を特に明記していない。
各記事では、チケットを取った理由としてお名前を挙げていたり、感想の比重として明らかに偏っていたりするけれども、蓋を開ければカテゴリ登録していない役者さんの話ばかりしていたりもする。

舞台でチケットが捌けるのは、ほとんどがキャストを理由としている、という旨の話がはてラジで出ていた。
それ以外の理由となると、大きなシリーズものや原作ファンが大きいもの、作演や脚本といった制作陣、あたりだろうか。
実際私もほとんどキャストでチケットを取るし、周囲も同じように体感している。
新しい舞台の告知が出れば、まず最初にキャストを確認する。
それは、実際に目にするもの=キャスト が何か、ということの確認であるから、至極当然のことだと思う。

自分にはとても熱中の波がある。
悪く言えば、熱しやすく冷めやすい。びっくりするぐらいテンションに差がある。

特定の人を追いかける、ことが楽しい時期と
満遍なく色々と見る、ことが楽しい時期がある。
伸び代を応援したいときと
出来上がっているものが見たいときがある。
前者は実生活に余裕があるとき。後者は実生活に余裕が無いとき。
趣味に何を求めるか、という動機の違いだと考えている。

一人の人の全てを追うというのは、全てを把握しているという意味になる。
そこからもたらされるのは、安心して好きだと言える、ということ。勿論、このような楽しみ方は何も変わったものではないし、とても楽しい。
けれど、趣味であるはずが段々と強迫観念のようなものに変わっていってしまうことがある。
全ての現場に行かなければ、全ての情報を網羅しなければ、今日はここがこう違った。
何を見たくて行っているのか、ということが時々わからなくなることがあった。手段が目的になっているような。

揺るぎない"推し"を決めることが強いられている雰囲気を感じる。
所属を決めることで安心でき、集中して熱を注げるから。それは人間の性質としてごくごく当たり前の欲求だと思う。
役者さんではなくキャラクターの話に(も)なるけれど、アイドルものなんかでは、推しを決めること自体が醍醐味だったりもする。

舞台には、複数回観ないと把握できないような情報量がある。
映像と違って、舞台の全てで世界の時間が進んでいる。
本筋とは違ったところでも、物語が紡がれている。
けれど、何回も同じ作品を観る時間とお金で、その分だけ別の世界と物語を知ることができる。

どちらが良いというわけではない。
優劣を付けるようなものではないのに、ある人について全てを網羅しているファンの方に対して、どうしても劣等感のようなものを感じてしまうことがある。

素敵だ、と思った人について、その人の次の出演を観に行く。
有名な作品や、代表作と言われるものがあっても、過去出演作を見ていくのは、わりと後回しにしてしまう。
素敵だと思ったのは今であり、その人が素敵なのもきっと今であるから。
今まで何度か拝見していたはずの役者さんが、急にとてつもなく素敵に見えることもある。
素敵だと何度もチケットを取り観ていた役者さんが、舞台上で目にとまらなくなることもある。
その人の今を見たいかどうか、が基本的に動機になっていると思う。

少し変わって、SNSについて。
主にTwitterを使われている方がたくさんいるし、戦略として使うのが当たり前になっている。(事務所の方針で禁止しているところも多々ありますが)
やっぱりその中には、なんでこんなこと言うかなあ、みたいな方は結構いる。
それだけの数、色々な人間がいるのだから当然のことだと思う。

単純に、見なければ良い。
人間として丸ごと好きになる必要はない。
見せてくれるものだけを見る、という見方もある。
SNSはシャットアウトしているけれど、舞台上のパフォーマンスや作品はとても好き、という方、わりといらっしゃる。

1:1である必要はないし、好きなときに好きなだけ、好きなところだけ見ればいい。
娯楽ってそういうものかな。というとりとめがない考えの話。